4−2
「テストぉ?」
後日の昼時、“鳥烏”の店前で掃除をしていた佐助は、学校帰りの政宗と幸村に素っ頓狂な声をあげた。
「そーだよ定期テスト!くっそ大会前に面倒なもんで練習できなくなっちまった」
「しかしお館様がおっしゃられたゆえ・・・」
それを聞いて、佐助もまぁ確かにと頷いた。
信玄はとても人間のできた男だ。佐助はそう思っている。
流石に幸村ほど崇拝することはないが、高学歴だし人情もある。幸村以外にも慕っている人は沢山いる。その信玄が、勉強なんてしなくていいなどとは絶対に言わないだろう。
「それで旦那、今回の課題は?」
中学の頃から幸村は、テストの度に信玄から目標を言い渡されることになっている。これは幸村のやる気を奮起させ、ちょっとでも成績をよくしてやろうというとても有難い配慮なのだ。
・・・勉強を教える身でさえなければ。
「うむ、三教科平均点以上、その他平均点ぷらす10とのことだ!」
気合を入れるように拳を握り締めてそう高らかに宣言した幸村に、佐助は頭を抱えた。絶望的だ。もう教えられる気がしない。幸村の勉強のできなさは何らかの病気なのではないかと時々佐助は思う。特に記憶力のなさは致命的だ。その頭の中切り開いて覗いてみたい。そしてそんなのに毎回毎回律儀に教えてる自分偉い。毎回信玄の課題をクリアさせている自分凄い。その様子を見ていた政宗は、そんな佐助の心情を何となく理解したか、助け舟を出すように口を開いた。
「知り合いに理数が得意な奴がいるんだ。幸村、アンタ理数専攻だろ?教えてもらいに行こうぜ」
「おお!流石政宗殿!」
何に感心したかはわからないが、幸村は目を輝かせて政宗を見た。
すると同時に佐助もばっと顔をあげて同じように目を輝かせる。
「伊達ちゃん!!神様!!やったそれどちら様!?」
・・・もしかして佐助の“病気”は自分のこの態度に問題があるのだろうか。
遊園地につれていってあげると言われた子供のように喜ぶふたりの反応に政宗はようやくそう理解した。
「ああ、じゃあ今からでも会いに行くか?」
「勿論!」
すぐさま佐助は手にしていた箒を片付ける。
顔が見える程度に店の扉を開けて、店の中の才蔵に「ちょっと行ってくるー」と声をかけてにこにこしながらお待たせと言った。その店の扉が閉まる直前に見えた才蔵の表情は佐助の目には入らなかったらしい。
こいつこんなに仕事サボってて大丈夫なのか?佐助ではなく、その扉の向こうの才蔵に同情した。
* * *
表の車多い通りの途中、枝道を曲がれば時代を少し遡ったような街並みが目に飛び込んでくる。
昔ながらの商店街であるその通りにひっそりと、もう随分と擦れて見難くなった字で『シマヅ電気』とかかれた看板を見つける。中からひっきりなしに金属と金属のぶつかる音がして、驚くほど酷い鉄の臭いがしてきた。佐助があからさまに嫌そうな顔をする。
「何?これ・・・」
「この辺の奴らはみんな『カラクリ店』なんて呼んでるぜ」
「カラクリ?」
改めて、看板に書いてある字を目で追う。
「・・・・電気屋さんだよね?ここ・・・」
「元親ー・・・・って」
政宗は遠慮なくその開け放された戸から入り、そこで金属音を奏でているであろう人物の名を呼んだ。
「お、政宗か?」
ぴたりと金属音が止んだ。薄暗い店内には、白髪で、顔の左側をその髪色に似た白い包帯で覆っている大柄な男と、端正な顔立ちの・・・一瞬女と見間違うような・・・男が腕組をして立っていた。
「あれ?ナリちゃん?」
政宗の後から控えめに入ってきた佐助が、その端正な顔の男を見て目を丸くさせる。
「ん?知り合いか元就」
「何だ床屋の主人か。伊達までそろいもそろって何事だ貴様ら」
ああそうだ、と政宗は心の中で納得した。
この端正な男はかなり前に佐助に紹介されたことがある。確か毛利元就とかいうやつだ。
こいつ、元親の知り合いだったのか。
ふと入り口へと目を向けると、幸村がその場で立ち尽くしていた。普段の彼なら有り得ないほどおとなしく、妙な気を放っている。
「どうした、幸村」
「・・・早速置いてけぼりを喰らった音がしますぞ某・・・」
無理もない、とりあえず紹介から始めるべきかと政宗は溜息を吐いた。
「そっかぁーやっぱりナリちゃんの幼馴染ってこの人だったんだー」
「病院で会ったなそういや」
「お互い目立つしねー」
佐助は早速元親と打ち解けている。どちらも社交的で分別を弁えた『年長』だからか。
しかし性格はまるで正反対だと政宗は思う。上っ面の印象でしかないが、どちらかというと佐助はこっちの、毛利元就の方がまた似た部分があるような気がする。
ちなみにその元就は、あれこれ世間話を程度良くしている隣で幸村と美味そうに和菓子の詰め合わせを黙々と食べていた。更にちなみにその菓子は、元親が常に買い置きしている“食料”らしい。
「で、どうしたんだ今日は」
元親は政宗のよき話相手だ。大学の授業がはじまる前、もしくは終わった後、あるいは休みのとき、空いた時間はほとんどこの店で店番をしながらカラクリ弄りをしている(勿論電気機器も好きらしいが)元親は、この町に来たばかりで馴染みのなかった政宗にとって、はじめてできた普通の友人だった。
元親も何か似たものでも感じるのか、はたまたただ単に面倒見がいいだけなのか、政宗を弟のように扱ったり対等になって話をしたりとそれなりの関係を築いている。政宗は、純粋に元親という人間を気に入っていた。
「定期試験前でな、悪いがこいつに数学教えてやってくれねぇか?」
政宗はそう言って親指で幸村を指した。
「よろしくお頼み申す!!」
「ごめんね、どうかお願いします。あ、ついでに他の教科も何とかしてくれると嬉しいんだけどー・・・」
さり気なく佐助がそう付け足す。どうやら意地でも教えたくないらしい。一体今までに何があったのだろうか。
「別にいいが、俺ぁ数学以外はからっきしだぜ?あと何とか教えられるとしたら応用物理ぐらいしか」
渋い顔をしてそう答えた元親に、佐助が大きく落胆したように、えーっ!!とわざとらしく声をあげた。数学を教えて貰えるだけでもありがたいと思うが、本気に、本気で教えたくないらしい佐助はぐるりと店の中のメンツを見回し、腕組して立っている元就に目を留めた。
「そうだナリちゃん!!確かすっごく頭よかったよね!?」
何だ自分には関係ないと高見の見物モードに入りつつあった元就は、唐突に自分に話を振られたことで心底嫌そうな顔をした。露骨だ。オブラートに包もうとすらしないのは賞賛に値する。もうここまでの言動である程度幸村の人柄は知られたということだ。
「何故我がそんなことをせねばならん」
「お願いナリちゃん!次髪切るとき安くするから!」
「器の小さい奴よ」
「じゃあタダ!!」
「ならばよかろう」
手放しでやったー!と喜んで小さな子供のように飛び上がった佐助と、状況はよく飲み込めないが佐助が喜んでいるのでとりあえず一緒に喜ぶ幸村を見て、微妙に先行きが不安になった政宗であった。
* * *
「・・・・だからな、単純に考えてみろって。ABはこう伸びてんだろ?だからOAを反対向きにしてそっからOBを伸ばせば」
「引いてしまわれてはこう、・・・なるのでは御座らんか!」
「いやベクトルってのは反対向けるのをマイナスっていうんだって」
「ならばおーえーはまいなすになるとこうなるのでは・・・」
「いや違う、それじゃ別のもんになるだろ」
『シマヅ電気』・・・もとい『カラクリ店』の中では、大勉強会が開催されていた。
当初の目的どおり幸村の数学は元親が教えていたが、流石の元親もかなり手を焼いているようである。佐助が、自分で押し付けたことながら心配そうにちらちらとその様子を窺っている。どうやら罪悪感はしっかり持っているようだ。
「気になるんなら手前で教えにいけよ」
英語の参考書を開けて適当に写しながら政宗は、挙動不審な佐助に声をかけた。
「えーっ、今俺一応伊達ちゃんの勉強担当なんだけど」
「人に教えんのが嫌だから押し付けたんじゃねぇのか」
「押し付けたって人聞きの悪い。それは旦那限定」
隠そうともせずきっぱりそう言い放った佐助に、政宗は本当に何があったのかと首を傾げざるをえなかった。
「でも伊達ちゃん必要なさそーだね。俺すっごい教えるのうまいのにー」
つまらなさそうに机に頬杖をついて佐助が言う。
「授業きいてりゃ何とかなるんだよ俺は」
「・・てゆーかフツーは、ね」
次の瞬間、ふたりはばっと幸村の方向を見た。
教えるとかいいながら椅子でふんぞりかえっていた元就が突然立ち上がり、幸村と元親の方へつかつかと歩んでいったからだ。元就は外野ふたりが緊張感を持って見守る中、幸村の傍らに置かれていた教科書を取り上げる。
「おい元就、」
「貴様のやり方は甘いのだ。こういう理屈を理解できん奴は一度徹底的に叩き込んでやった方が上達がはやい」
元親と幸村の両方が視界にしっかり入るように元就は椅子に座った。その状態で元就は幸村を睨みあげる(いつもこんな感じなので本人は恐らく睨んでいるつもりなどないのだろうが)。幸村は条件反射で背筋をぴんと伸ばし、両足の裏を床にぴたりとつけた。
「学習の基本は理解だ。理解せねばどんな知識も唯の芥と化す。だが貴様はまず暗記するところからはじめねばなるまい。今からベクトルの公式を5分で覚えよ」
かくしてはじまった元就のスパルタ的教育は、傍から見ている方は苦笑いしか出ないものであった。
「内分は?」
「えむぷらすえぬぶんのえぬえっくすわんぷらすえむえっくすつー、かんまえむぷらすえぬぶんのえぬわいわんぷらすえむわいつーで御座る!」
「ならばAベクトル3カンマ2、Bベクトル4カンマ1、Cベクトルマイナス2カンママイナス3からなる三角形ABCにおいてBCを3対2に内分する点Pの座標は?」
元就は背もたれのついた椅子にふんぞり返り、教科書を片手に問題を読み上げていく。その足元に幸村は正座して元就の読んだ問題に答えていく。
何だこの図は、と政宗は笑いを殺すのに必死だった。
毛利元就という人物は以前佐助からの紹介が一応あったとはいえ、話したことはほとんどない。しかも元親の幼馴染とかいうからもっと笑える。どうやって仲良くなったんだお前ら。見る限り性格は、正反対ではない。しかし上手く交わることのなさそうな対照的さである。
「ご、ごぶんのおおおおおお」
「元就、流石に暗算でやらすのは酷じゃねぇか?」
正座した幸村が指で空を描きながら唸るのを見かねた元親が一応抗議する。しかし元就はふん、と鼻を鳴らして元親を一蹴した。
「そう温いことを抜かしておるからいつまでたってもできんのだ。一度思い切り叩き込んでやれば自ずからできるようになるだろう」
「なんつースパルタだよ」
「黙ってみておれ。今日だけの特別授業と思えばよい」
当の幸村にはそんなふたりの“教師”の会話など耳にも入らなかったか、未だ数字を呟きながら唸っている。
それを遠目で見守る政宗と佐助は、若干幸村を不憫に思いながらも、ふたりしてけらけらと笑った。