(それは、この街を象徴した事件)


















4−1


その日、武田剣術道場は道場主の武田信玄が練習試合交渉のため不在、一日休暇となっていた。
「修行ができませんぞおやかたさまああああああ!!!」と本気で泣き叫ぶ幸村を引き摺り、政宗はさて今日一日どう過ごそうかと考え、ふっとライブハウスへ行こうと思い立った。
”鳥烏”へ寄り、一応佐助にその旨を伝える。先程まで忙しそうに走り回っていた癖に、政宗が適当なことを言って誘うと「丁度暇だった」などといって3分で準備を整えた。案の定、奥から才蔵が睨みつけていたので流石にそこは悪いと思いつつもライブハウスへ向った。
別に、何かあるわけではない。本当に、ふと行ってみようと思っただけであった。
何故そう思ったかなんて、多分もっとわからない。










「伊達ちゃんは新聞読むほう?」
その道の途中、何やらあちらこちらからメガホンを通したような声がする。街の一番賑わいを見せる大通りあたりの雰囲気がいつもと違う気もする。それを訝しんでいた政宗の心情を察して、佐助はそう尋ねた。
「暇つぶし程度になら」
朝は小十郎がいつも熟読しているため、読むのは大抵帰宅後になる。しかも放課後、道場で練習をしてから帰るので、そんなにじっくり時間をかけて読む暇もない。よって必然的に流し読みになる。
「政宗殿は、あの文字の羅列に耐えられるというのか・・・・!流石にござる!」
「うんうん旦那も見習おうね」
幸村の冗談のような本気発言を軽く流して、佐助は街頭の掲示板に貼られたひとつのポスターを指差す。左目を細めてそれを眺めてみる。中身をよく見なくてもそれは政治関係のものだとわかった。
「この街一番の有名企業知ってる?一応この辺取り仕切ってるんだけど」
「Yes。商店街の近くにあるでかいビルだろ?」
「そうそう。そことさ、こことじゃ比べ物にならないほどでかい他市の企業とがこの街で会談するんだって」
政宗は首を捻った。
「それでこんな騒ぎなのか?」
「政府が麻痺してからはもう完璧に地方分権だろ?しかもまぁ大抵の・・・ってこの街もなんだけど、地方政府ってのは貧乏だからね。うちもあそこの企業がリーダーだし、そういうとこに頼まないと金が無くって政治どころじゃないんだ・・・ってのは中学のとき習ってない?」
「悪ィが、俺は中学には・・・」
「へ?」
「・・・・何でもねぇ、それで?」
「あ、うん。でもそうやって地方政権握った企業もそんなに余裕なわけじゃないから、他企業と連携をとったり交渉したりするんだよね。上手くいかないと他の企業に街ごと乗っ取られちゃうからー」
説明しながら、佐助はその貼られていたポスターをべりべりと剥がした。
「おい、いいのかよ」
「いいのいいの。・・・徳川さんには、頑張ってもらわないとなぁ」
先日、光秀と商店街を歩いたことを思い出した。
「・・・そうだな」
ちらりと、隣の幸村を盗み見る。完全に明後日の方角を向いている。目線の先にある老舗の甘味処を確認して、大した奴だと溜息を吐いた。
先程の話をこいつは理解したのだろうかと思って要らない心配をした自分が間違いだった。聞いてすらいなかったか。まもなく、ライブハウスが目に飛び込んできたので、幸村が佐助に口を開く前にその腕を引っ張って入り口まで速足で向かった。










*  *  *












相変わらず大盛況な建物の中、端の方で人気のない席を選んで座る。
絶え間なくステージで奏でられる音楽と観客の歓声が慣れないらしく、妙にそわそわしている幸村が何故か笑えた。
佐助が飲み物を聞いて、三つグラスを指に器用に挟んで持ってくる。それを受け取ったそのとき、丁度ステージにあのバンドが躍り出た。



観客達が「慶ちゃーーーん!!!!!」と叫ぶ声で気付いて、佐助がふたりの目線をステージに向けさせる。
「む、誰だあの御仁は」
「旦那ぁ、前教えたじゃーん」
「”恋街2010”・・・だったか?」
「さっすが伊達ちゃん!!覚えててくれたんだ〜!」
「・・・別に手前の為に覚えてたわけじゃねぇよ」
いちいちオーバーなんだよと遠回しに表現しただけだったのだが、にやにや妙に嬉しそうな佐助の表情を見る限り、どうやら望んでない意味合いに取られたらしい。つくづく面倒な奴だと政宗は思った。
前に曲を聞いたときは嫌いな方ではなかった。と記憶している。ただ純粋に音楽を楽しんでいるような、しかし何か訴えたくて仕方ないというような、複雑なものが伝わる。茶色い、正にポニーテールと呼ぶに相応しい髪が大きく揺れて、大きくしっかりとした手がマイクを掴む。盛り上がる観客に、妙に耳につく声で”いつものあいさつ”(「みんなーー!恋、してるかーーい!?」というアレだ)を済ませて曲が始まる。その”慶ちゃん”と呼ばれている茶髪のポニーテールは、歌演奏だけでなく観客とコミュニケーションをとりながら人懐こい表情で魅了する。今もし地方官選挙なんてものを行ったら間違いなくコイツが当選しそうだなどと的外れなことを考えながら、コーラの入ったグラスに突っ込んだストローを軽く噛んだ。







「ここのライブハウスって一日にどんぐらいのバンドが来てんだ?」
腹が減ったとごね出した幸村に合わせて、簡単なものを頼んで適当に食べていた政宗が唐突に尋ねる。向かいであまり見たことのないメニューに頭を悩ます幸村を観察するのにも完全に飽きてしまったらしい。佐助は幸村に助言していたそれを止めて、指折りながら答える。
「えー・・・と・・・大体午前午後合わせて5,6組ってとこかな。日によって違うし、人気があるのは午前も午後もやってたりするよ。あ、あとこの間”サウンドメイカー”が来た時はそれだけで午後が潰れたなぁ」
「サウンドメイカー?そんな奴が何でこんな片田舎のライブハウスに・・・」
そこで政宗はああ、と一人納得する。
不思議そうな顔をした佐助に聞こえるように、しかし半分独り言のように、今は知らないバンドが演奏をしているステージを眺めて呟いた。
「あの”恋街2010”っての、サウンドメイカーの曲に似てるんだな」
音楽好きならサウンドメイカーの名を知らない者はまずいないだろう。全国的に有名かつ熱狂的なファンを持つアーティストのことだ。ああ、選挙をしたらこっちのほうが当選するかもしれない。
「ああ!いわれてみれば確かにそうかも。慶ちゃんがファンなのかな?」
「慶ちゃんって・・・・手前は友達か何かかよ」
「みんなそう呼んでるんだからいいじゃない」
「佐助これにするぞぉ!!」
会話を軽くぶち破って強制終了させた幸村に、はいはいと呆れながらも佐助は席を立って幸村と注文をしにいく。












ひとり席でもう中身のないコーラを持て余し、ストローの先を咥えて氷が溶けた水を啜る政宗の視界の端に影が現れる。
「あんた、この間来てた奴だろ」
視界の真ん中に長い茶髪が飛び込んだ。
にぃ、と笑ったそれは、先程までステージで熱唱していた、
「”慶ちゃん”・・・か?」
「前田慶次。ま、慶ちゃんで全然構わねぇよ」
「じゃ、前田」
「つれねぇの!」
前田慶次と名乗ったその男は、元々4人用のテーブルだったそこの、空いていた椅子を引き出して当然のように座った。手には注文したのだろう、フライドポテトとハンバーガーとジュースの乗ったトレーを持っていたが、それをテーブルの上に置く。
「あんたと一緒に居た橙色の兄ちゃんはけっこー前から顔知ってたんだけど、あんたを連れてきたときついつい目に留まっちゃってね」
どこの女を口説く台詞だそれは。
「・・・そりゃどーも」
返された不機嫌そうな声に慶次は少し驚き、俺まずいこといったかもというようににへら、と笑った。
政宗も自分の容貌のことはよく理解している。右目を綺麗に覆ってしまえる黒塗りの眼帯は、同じく黒く長い前髪と共に強い印象を与えるらしい。ついでに付け加えると、眼帯のない左目も、見たことのないような金の色をしている。
だがあまり素直に喜べない目立ち方だと政宗は思っている。
「でもそれもかなり最近のことだし、もしかしてあんたこの街に来て日浅い?」
トレーの上のものを取ったり置いたりして、何から食べようか悩みながらも話を続ける。器用な奴だ。溶けた氷だけが残っていたグラスの中もなくなり、聞こえないように舌打ちをする。
「数ヶ月は経ってる」
適当にそう質問に答えた。会話が成り立ったことに喜んだか、慶次はおお!と口に出して感動し、政宗の方へ身を乗り出した。逆に政宗は迷惑そうに身を引いた。












「あれ?伊達ちゃーん」
そのとき人ごみの中からトレーを両手でしっかり持った佐助と幸村が顔を覗かせ、不思議そうに目をぱちぱちとさせた。
「どーも、床屋の兄ちゃん」
「あんた”慶ちゃん”かい?驚いたなぁ、何か御用でも?」
床屋、と言われたことに反応しつつ、そこは敢えて問い出さずに笑みを向けた。政宗が小さく溜息を吐く。それが聞こえてしまった慶次は、またまずったと微妙な空気の中またもにへらとだらしなく笑う。そして、なにやら状況が飲めない幸村はとりあえず政宗の隣に座った。はやく注文したものを腹に収めたかったらしい。
「御用ってわけじゃあないんだけどね。おたくら目立つから、ちょっと話してみてぇなって思っただけ」
なるほどねーと微妙な返事を返して、佐助も座ろうとする、と。


想像をしてみると、佐助が固まった理由はすぐにわかる。
4人掛けの長方形のテーブルの、右奥に政宗、その隣に幸村、政宗の向かいに慶次。つまり、
「ちょ!どうして旦那も慶ちゃんもそんなとこ座って!!俺のことハミってるの!?」
「ハミるとか使うなよ手前。女子高生か」
「俺だって伊達ちゃんの向かいか隣座りたいーーー!!!!」
政宗は額を押さえた。思わず盛大で長い溜息が出る。佐助のこの”病気”(と政宗は呼んでいる)には未だ慣れないこともあり、政宗の心情をそのまま表現すれば、そんなことで叫ぶんじゃねぇこっ恥ずかしい、である。ついでに第一20過ぎがいい年こいても付け加えておこう。逆に幸村は慣れてしまっているのか、
「我が侭を言うでない佐助ぇ!!!こういうものは早い者勝ちであろう!!それ以上に俺は席を移動するのが面倒だ!!」
と普段の声から大きいのに、更に妙に張り合って大きくなった声で叫んだ。
その拍子に口の中のものが飛び出したのを見て顔を顰めた政宗は、テーブルの端にあった簡易紙ナプキンを渡す。それを有難く受け取り口元を拭く幸村の様子を観察し終わって、慶次は楽しそうに氷だけが残った彼のグラスをカラカラと鳴らした。
「思ったとおりだ。面白いなあんたたち」
「・・・・見世物じゃないんだけどなぁ」
先程まで他人が聞いたら引くようなことを叫んでいた人物とは思えないほど落ち着いた声で、佐助は苦笑いしながらおとなしく左手前の席に着く。
「ま、いいや。あんだけ皆に慕われてるあんたが悪い奴とは思えないしね」
大概こいつはわけわかんねぇなと政宗は思った。
「そりゃありがたい。じゃ、これで俺たちは友達だな」








・・・・・・・・・・・

「はい??」







非常に自然な流れで差し出された手と発せられたあるひとつの単語に、3人の目が「何でそうなる」と語っていた。
「なんだよ、その目は」
「いや・・・だって、ねぇ?」
前言撤回。悪い奴じゃなくてもこいつはとんでもなく面倒なタイプの人種だ。これはまずいかもしれないと政宗の頭がサイレンを小さく鳴らす。見ると、佐助も似たようなことを考えていたに違いない。目が泳いでいる。要約すると、「やべぇとんでもないのにひっかかった」である。ちなみに幸村は何を言われたのか聞こえなかったらしく、固まったふたりに合わせて固まっているだけだ。
「だって名前きいたらみんな友達だろ?いっとくけど俺、一度見た顔と名前は忘れない性質だよ」
「あ、それは俺様も一緒」
職業柄か、それとも慶次と同じ生まれ持った性質かはわからないが、一目でその顔や身体の特徴を掴んでしまうらしい。さらにちなみに、政宗と幸村は大抵5、6回繰り返さないと人の顔など滅多に覚えない。性格だろうか。
「まぁ細かいことは気にすんな!また来いよ!毎日此処にいるからさぁ」
「うむ、よろしくお願いしますぞ前田殿!」
よくもわかっていないのに元気良く幸村が返事をする。
・・・と同時に、佐助は瞬時に違和感に気付いた。
「旦那、なんで”慶ちゃん”の苗字しってんの?」
「先程政宗殿に紹介してらしたぞ」

あの距離で、この空気で・・・政宗は今まで漠然と感じていた幸村の“異常”さを改めて感じて、少し恐ろしく思った。