中世にタイムスリップしたかのような錯覚に襲われた。何度目をこすっても目の前の光景は変わらない。古ぼけた看板に書かれたとても達筆な字を読み取って、うん間違っていないと呟く。大きく深呼吸して、フリオニールはその建物の扉を開いた。











Welcome to the restaurant!!

















事の始まりは、数ヶ月前のことである。
今年20になったフリオニールは、その日大学を辞めた。


理由は単純。学費を払う手立てがなくなったからだ。





諸先生に挨拶を済ませて、最後だしな、と昼時のピークを過ぎて人のいなくなった食堂へと足を運んだ。最後とおまけしてくれたランチをゆっくり食べながら、フリオニールは大きく溜息を吐いた。
「そーんなおっきい溜息ついてたら、幸福が逃げるッスよ」
直後、陽気な声が後ろから聞こえた。はっとしたと同時に頭を小突かれる。
振り返ると、金髪で色黒の少年が、にぃっと笑ってたっていた。
「ティーダ、授業はどうした」
「今の時間はないんだよ」


ティーダ、と呼んだこの少年は、自分よりふたつみっつ年下の後輩である。
高校と並んで建てられたこの大学は、ほとんどが高校とは離されて特に接点はないが、食堂だけは共同になっていた。ティーダはその高校の生徒である。
高校、といっても隣が大学だからか、それとも全く関係ないのか、かなり自由な学校で、大学のように自分でカリキュラムを決める。
見るとティーダの手にはAランチと呼ばれるそれが載った盆があった。どうやら先ほどまでみっちり授業があったらしい。よっこらとティーダはフリオニールの向かいに座り、それを食し始めた。
「今日でフリオニールを食堂で見るのも最後かぁー・・・はいひうなうっふねー」
「口に物を入れながら喋るなよ、行儀が悪いぞ」
頬一杯にハンバーグを詰めながら、ティーダは4、50回噛んでゆっくり飲み込んだ。
「どうするんスか、これから。就職先とかある・・・・」
「・・・・それなんだ・・・」
ティーダとは逆にほとんど食の進んでいないフリオニールは、とうとうその手に握られたフォークを置いて項垂れた。


「確かに、そう簡単に就職なんて無理だよなー。しかもフリオちょっと不器用だし」
「略すな名前を。悔しいが認める。接客もそんなに得意じゃないし、確かにこれじゃあどこももらってくれなさそうだし・・・」
口の中に最後の一口、トマトを放り込んだティーダは、あっ、と声を挙げて立ち上がり、食堂にかけられた掲示板を見た。この掲示板にはサークル参加募集や宣伝に混じって、時折外部からの情報が貼られていたりするのである。
「フリオ、バイトから始めた方がいいッスよ」
そこに貼ってあった紙を一枚、剥ぎ取ってフリオニールの目の前に出す。白い紙の上には、パソコンで打たれた繊細で丁寧な文字が淡々と並べられている。
「・・・嘘だろ、時給2000円!?」
その文字を見て、フリオニールは狼狽した。ティーダからその紙を奪い取ってもう一度じっくり見る。しかし書いてあることが変わることなど勿論なく。
「どうッスか?こーいうとこにいいネタって転がってるもんッスよ」
「・・・い、いや!これは幾ら何でも気前がよすぎる!!何か裏があるんじゃないか・・・!?・・・でも2000円・・・・」
仕事内容を見る。どうやら何処かの店・・飲食店か何かだろうか。店の名前は聞いたことがなかった。この辺の店ではないのだろうか。
「それねぇ、」
突然の第三者の声に、フリオニールは大袈裟に飛び上がった。
「食堂のおばちゃん」
ティーダが水を飲みながら片手をあげて挨拶する。おばちゃんはにこにこ笑ってそれに応え、再びフリオニールの方を向いて話し出した。
「そこの店の従業員さんが来てね、貼ってくれって頼まれたの」
「どんな人だった?」
フリオニールでなく、ティーダが尋ねた。
「とっても美人な男の人だよ。悪い人には見えなかったけど・・・」
その話を聞きながら、しつこくもまた紙を見たフリオニールの肩をティーダが叩いた。
「一回いってみろよ!」
「だが・・・」
「チャンスは逃しちゃ損ッスよ!」
ばんばんと遠慮なしに肩を叩かれて、フリオニールは戸惑いながら頷いた。
とりあえず、その紙をコピーしてもらうことにしよう。
紙をテーブルの上に置いて、この大学での最後の食事に再び手をつけた。














冒頭に戻る。

年季の入った華やかな扉を開くと、暖かな橙の明かりが目に飛び込んできた。いくつもテーブルが並んでいて、天井には見たこともないような明かりがぶら下がっている。壁にはいくつもの絵や写真、棚に骨董品が並べられ、とてもじゃないがフリオニールの貧相な語彙では表現できなかった。
呆気にとられている場合ではない。フリオニールはもう一度大きく深呼吸をして、人を呼ぼうと口を開けた。丁度そのとき、奥の部屋から誰かが出てきた。
「あれ、お客様か・・・・」
「うおおおおおおおおッッ!!!?????」
空気がビリッと揺れた。思わずフリオニールは口を塞いだ。そんなことで出た声がなかったことになるなら苦労はしないだろう。反射だ。頭で考えるよりも早く脊髄が指示を出した。どうしよう、絶対引かれた。
「・・・・ええっと、どちら様で?」
奥から出てきたその人は、かなり驚いたようであったが、すぐに落ち着きを取り戻してそう聞いた。フリオニールは改めてその人を見て、思わず生唾を飲み込んだ。
美しい銀の髪をふわふわとなびかせ、睫毛の長い優しげな目をした大層な美人である。一見すると女性のようであったが、フリオニールと大して変わらない身長と先ほど形の良い唇から発せられた声で、男だと納得した。それにしてもきらきらしている。

(・・・・って男の人相手になんで生唾飲み込んだ俺ェェェェ!!!確かにはじめちょっと女の人かなって思ったけど!!失礼だろ!!)

穴があったら間違いなく入っていただろう。羞恥で顔が赤くなったり青くなったりしているフリオニールを、その人は不思議そうに見て、
「あの、どちら様で?」
ともう一度困ったように口にした。ようやく我に返って咳払いをする。
「大学に、こちらのチラシが貼られていまして、その、バイトをですね・・・」
「大学?バイト・・・・・!!!!!」
言い終わらない内に、その男の人は目を輝かせてフリオニールの両手を勢いよく掴んだ。フリオニールは滅茶苦茶驚いた。思わず硬直してしまう。
「バイト志望の子だね!?うわあ嬉しい!嬉しすぎるよ!!大変だ、早く店長に報せないと・・・!ねぇ、君名前は?」
なんだかよくわからないがとてつもなく喜ばれている。
「ふ、フリオニールです」
「そうか、フリオニール君だね!よしじゃあ早速だけど店長に挨拶しにいこう!」
ぽん、と肩を叩いてにっこり笑ったその人の妙な勢いに思わず頷いて、腕を引かれて引き摺られていく。しかも結構掴まれたところが痛い。どうやらかなり力が強いようだ。やっぱり男の人に間違いない。
「い、いいんですか?」
「何が?」
「バイト面接とか・・・」
「大丈夫、君は悪い人には見えないから」
それは喜んでいいのだろうか・・・。



とりあえず従っておこう。そう無理矢理納得させて、ずんずんと引っ張られながら、中をしっかり見回す。先ほどの入り口付近と同じ、様々な飾りが施されていて、さらに建築材は木材だ。それに橙色の明かりがよく合っている。少々古めかしい印象を受ける、それがとても心地よい内装である。
「ここ、レストラン・・・ですよね?」
ですか、と聞いたら知らないで来たのかと思われそうなのでちょっと言い方をかえてしまった。しかしそれに特に気にした様子もなく、腕を引く男の人はそうだよと返事をした。
「普通に暮らしてたら、きっと全く縁のないレストランだよ」
どういう意味だろう、そう思って顔をあげると、男の人は目の前にあった扉を開けた。







「店長!ウォル!バイト志望の子が来てくれたよ!大学作戦上手くいったみたい!」
開けた瞬間、フリオニールの腕は痛みから解放された。その男の人は嬉しそうに部屋の中へ飛び込んでいく。慌てて部屋へと入ったフリオニールの目に飛び込んできたのは、腕を引いていた男とはまた別のひとりの男と・・・




・・・・ひとりの鎧だった。





「え、・・・えーと・・・・・」






・・・・・・鎧?


















部屋の中に入って硬直したままのフリオニールに反して、ここまで引っ張ってきた銀髪の男の人はそのまた別の男の人(ややこしいなおい)と鎧に、輝かせた目を向けた。
「ほら、フリオニール君っていうんだって。僕の作戦認めてくれる?」
なにやら聞き捨てならない単語が入っていることにもフリオニールは気付かない。
「まさか本当に来るとは思わなかったな。ああセシル、認めよう。お前の作戦がうまくいったことは」
「やった!」
嬉しそうな銀髪の男の人・・・セシルといったのか、彼の声でフリオニールはようやく我に返る。セシルと話しているもう一人の男の人は・・・なんだこちらも銀髪気味だ。自分も若干そんな色の髪だし、流行ってると思われそうだな・・・・と考える髪の色をした、フリオニールとセシルよりもまた少し高い身長の、男らしい美人であった。
「だがまだ本採用するかは面接をしてから・・」
「ええ!?大丈夫だよ悪い子には見えないし」
やはりというか、当然というか・・・面接はあるものらしい。それはそうだ。
「ウォル、お願いだ!これ以上の人手不足は痛手なのは君も同じだろう?」
「確かに、だがここはこの店の為にも簡単にするべきではない」
「ウォル!」
今頑なに首を横に振っているこの男はウォル・・・というのか?フリオニールはいまいち状況をつかめないまま、そういった基本的な情報を拾っていく。双方ともなかなか折れずに話が一向に進まないためどうしようかと思い、さっきからずっと気になっていた椅子に座る鎧の方を向いた。
目が合った。
・・・・・・気がした。なんせ鎧、顔面フルフェイス兜なので目が合ってんだか合ってないんだかわからない。ああ、何かでも気まずい。さっきから凄く気になってたんですその鎧、なんて言う訳にもいくまい。
鎧が立ち上がった。うおおお!と、叫び声にこそならなかったものの、内心でかなり驚いてしまった。恐る恐る横目で見る、が別に鎧は自分のほうを向いていたわけでなかったので安心する。
「セシルよ、そこまでいうならば考えてやろう」
重々しい、かなり年を重ねてきたのだろうと推測できる声で、譲らない二人の間に入った。二人も争うのを止めて鎧の方を向く。
「面接の代わりに、研修期間で実力を見てみるのはどうだ?」
「ガーランド!」「店長!」
「作戦がうまくいったのは認めねばなるまい。だからといって約束どおりにそのまま採用するのは店としてどうか、ならばこうするしかないだろう」
・・・そこで、フリオニールはようやく何となく話を耳に入れて、思った。
この人たち、今までバイト募集とかしたことなかったんじゃないか?
見るからに、この店は古く高級な雰囲気だ。更に先ほどからフリオニールの目の前で論議しているこの三人も、ちょっとそこらへんに転がっているような人材ではなさそうだ。(少しこれは偏見だろうか)
何かがひっかかりながら、更に一抹の不安も抱えながら、しかしフリオニールは特に行動は起こさずその様子を見守った。頭を過ぎったのは、時給2000円。
今このチャンスを逃してはならない。
「それでよいな?」
「・・・仕方あるまい」
「やった!」
セシルがくるりとフリオニールに向き直った。そして、しっかりと両肩を掴んで(些か男性に使う形容としては不適切だが、)天使のような笑顔で高らかに告げた。



「ようこそ!リストランテ・ディヴェルテンテへ!」
それが、フリオニールの新しい生活の始まりであった。