「同じ何かは存在しえない」
「感情には質がある」
「ひとりの選択肢はひとつ」
正解、正しい選択がもとより此処にはないのなら、確かにあるのは混沌と秩序だろうか。これらがきちりと並べられているか、自分勝手にあちこちに飛び散っているかは大きな違いだ。
10人もの人数で生活を共にしていると、必ずもめ事がある。仕方なくはあるが、誰かが止めなければ終わらない。クラウドやセシル、ジタンは大抵止める側で、何とか第三者の目から諫めようと努力する。逆にフリオニールやティーダは問題を起こす側だ。また、特にどちらでもないのはスコールやレム、ティナ達。バッツは殆ど論外としよう。
あれはティーダが無謀な行動をしたときだったか、それを叱り飛ばしたフリオニールに珍しくティーダが反論した。
端から見ていたクラウド曰わく、「フリオニールの言い分は尤も」。しかしティーダを否定しなかったのは、わからないことではなかったから。よくも悪くもティーダは青臭い。だがそれはフリオニールも似たようなもので、その時彼が尤もなことを口にできたのは、あくまでティーダの外側に居たからだろう。お人好しな彼のことだ、もしウォーリアあたりが叱り飛ばしていたらフォローに回ったに違いない。
「セシルならどうする?」
その話を聞いたジタンがそう切り出した。
「相手への叱り方って、まぁ人それぞれとは思うんだけど」
「正しくは非難の仕方だな」
「水差すなよバッツ!」
ジタンとバッツもよく言い合いをする方だが、ティーダとフリオニールとは違う。
このやたらと賑やか2人はこれで結構頭の回転が早い。彼等の場合、言い合いは遊びのようなものだ。取っ組み合いも無謀に見える行為も、大抵は遊び半分に行うのである。これにはウォーリアが理解するまでかなり時間がかかったが、同時にとても良い関係性と見方である。
バッツもジタンもその回転の早さから、雰囲気を感覚的に掴んで反射対処が行える。時には、その空気を読まないという手段も意図的に取る。
そんな彼等が敢えてセシルに問うたのは、セシルはティーダとフリオニールの間を諫めることの多い立場ながら、クラウドのように完全に第三者の眼から非難をせず、またウォーリアのように叱るでもなく、なるだけ穏やかに仲裁をするからである。彼は滅多に声を荒げない。
「僕は、クラウドが諫めてくれるなら見ているかな」
「…と、いうと?」
「役割みたいな、そういうものはあるだろう?僕はティーダが冗談でしたわけじゃないなら、やっぱり怒れないから」
素直であった。そりゃまぁ、そうだとジタンも頷く。
「10人もいるんだし、それぞれ考え方も価値観も違うよな。押し付けず、でも」
「集団らしく譲り合いながら、ってことだな」
「バッツはもう少し遠慮を覚えた方がいいけどな!」
「俺は一人旅が長かったんだ。癖みたいなもんだよこれは」
何にせよ、誰のやり方が正しいなんてことはない。10人もいるんだから、はもう既に呪文のようなものだ。
問題を起こすティーダもフリオニールもまた変わらず言い合いを繰り返すだろうが、そのたびに止めてやればいい。
考察
ddffはわかりやすく部活みたいな感じだよね。目的を同じとする少人数
荒野の真ん中を胸張って歩く生き物に成りたい。姿を見せれば、ひとり目を光らせて今日の晩飯を見定める。獲物を探して72時間経ったって、きっと勇ましくて強い存在。何処から来たのか忘れてもきっと忘れない強い存在。
語られた夢を信じられる根拠とは何であろう。朧気な記憶はその確かな力とはならないか。どんよりと曇りきった空が懐かしい。太陽すら混沌の中に溶けた。前方を行く仲間達も同じ境遇だろうに、そこには大きな隔たりがあるように思う。はっきりと形に成らない此処に至るまでの経緯。多くの誰かに生かされ続けてきた記憶。でも忘れてないというだけで信じた命。手の差し伸べ方を知っている。曖昧だから、上手くできているかは勿論わからない。本当の情を知っている。それが世間一般的に正しいかどうかはわからない。
荒野に独りで生きていける生き物に会いたい。群の中から眺めるだけじゃない。何の役にも立たない力をぶら下げた胸も、愛されて濡れたことを、伝えられたらきっと価値のある記憶。
狼のように
DDFFのクラウドはちょっとお兄ちゃんぽくて好きです。いや、FF7のちょっと幼い感じも好きですが。
この話に直接は関係がありませんが、孤児院パラレル設定のひとつ心残りはクラウドがちょっと下の方にしたことです。
これはこれで意図はあったのですが勿体無いことしたな。
あとFF7家族と関連する話なら、クラウドは優しくあることの意味も強くあることの価値もわかっていて、不器用にどちらも為そうとしていると思います。
私の書きたいことのFFとBASARAの大きすぎる違いはそこな気がする。
焼けるように眩しい光を厭わしく思いながら、しかしガーランドはその魅力もよく理解していた。誰もが闇の中で光を求めてもがくのは、きっとそういった光への強い憧れにも似た感情なのだろう。永遠の中、ガーランドはこの輪廻に半ば絶望し、半ば快楽を覚えていた。心がもうすぐ死ぬのだろうか。そう何度も思うのだが、なかなかどうして心というものは簡単に死ぬことはなく。目下に投げ出された己の敵を眺めて、また死ぬのだろうかと思う。
そして、何故あれは絶望も快楽も覚えぬのだろうかと考えた。自分と等しく長い時の中、あれは闘争を続けている。それでもあれから希望が費えたことはない。むしろ輪廻を経る毎にその強さは増していき、その輝きは一層際立つ。なぜだ、何故光を失わない?誰もが光を求めてもがくのに。あれは光そのものであるらしい。求めずとも自身が自身を照らし出す。己が何者かという疑問もなく、この永遠の闘争を知ってなお、永遠を断ち切ろうというのだ。
見慣れたこの場所を上から下まで眺めて、ガーランドはもう一度思った。心は、やはり死なないのだろう。どんなに死ぬかもしれぬと思っても、決して死ぬことはないのだ。あれが光を失わぬように、また自分もあれの強さを忘れがたいが為に。
焦燥
一回エロをかいてみたいのナンバーワンはガーウォルなのですが。
ロクにカプもかけねぇのが言うんじゃねぇ!!!って感じですね。わかっていますとも。
こういう考え方的な文章が一番楽で好きです。