さも、痛みが崇高なものであるかのように。焼けるような熱さや神経がぷつりと切れたように動かない腕が慢性的にあげる悲鳴が、ただ何故か愛おしい。多分まだ死にやしないだろうが、今目を閉じれば確実に意識が飛びそうだ。普民が眠たくなるときのようにとろんと視界が曇り、瞼が降りそうになるのを紙一重で支えている。その大黒柱が痛みだ、目か笑った。何がそんなに嬉しかったのだろうか。
猿飛佐助は忍びだ。武田軍の、それ以上に真田幸村の忍びだ。それが指すことはひとつで、彼は忍びとしてあらゆることを他人に自分に施してきた。それが所詮の事であったとしても致し方ない、佐助は己の存在意義について悩みたいわけではない。ましてや自分がしてきたことに今更後悔するはずもない。
戦場に出るものは、殺される覚悟と殺す覚悟と、それでも生き抜く覚悟が必要不可欠。
佐助だけではない、どの武将も確実に胸に抱えていることに違いない。
だから、多少の傷など傷の内に入らぬ。
多少の痛みなど、痛みの内に入らぬ。
今で言えば、モルヒネを打ったまま事前にインプットされた行動を取るようなものなのだろうか。大して詳しくもないが、ただ佐助はその現在少し切ったぐらいではもう何とも思わなかった。
これはもはや少し切った、というレベルではなかったわけだが、佐助が立てなくなるほどの痛みが全身を襲ったのは全てが終わった後。
よくこんなんで動き回ってたなぁ俺と苦笑しながら勝利の法螺貝が鳴るのを聞いていた。まだ致命傷ではないがそれなりの出血がある左腕と左足と脇腹とを見て、うえぇとわざとらしく噎せ込んだ。佐助はあまり血が好きではない。いや好きな奴なんてあの織田のとこの変わった嗜好をお持ちのあの人ぐらいのもの…だと思いたい。嗅覚に訴えてくるそれは鉄臭くて無機質に思うのに、触覚に訴えてくるそれは人肌の温かさを持っていて、意思を持った生物のような気がする。それを実感するたび、柄にもなくぞっとするのだ。
「佐助」
耳元で声がした。曇りかけていた視界が少し鮮明になる。赤色が映り込んだ瞬間、ああー真田の旦那だぁと幼稚に笑った。
「勝った?」
「当然だ」
幸村は仰向けに倒れる佐助の傍らに膝をついた。目で出血を確認して、恐らく救護班あたりから貰ってきたのだろう、白く真新しく長い布を半分くらいに裂いて傷口にあてがう。ありがたいねぇと小さく呟いた。
「旦那は怪我してない?」
ぼんやりしているが、幸村に僅かな血を見てそう尋ねる。何故かへらへらと軽薄な態度になってしまって、嫌になった。馬鹿だ自分。幸村が神妙な顔して自分を、応急ではあるが介抱しているというのが佐助にはおかしかった。脈打つ度にどくどく血が出るその腹にもう少し力が入れば、声をあげて笑ってしまいそうだった。
「佐助、痛いか」
布を斜め左右に引っ張って、幸村が静かな声で言った。普段かなり声がでかいので、今のように低く抑えた声は佐助も久しく聞いてなかったなぁとぼんやりする。
「痛いね、久しぶりに」
戦で怪我をするのは当たり前だが、こんなに深手を負ったのは、と言う意味合いで先に考えていた久しい声と併せてそう返答する。
痛い。それを聞いた幸村は拗ねた子供のように顔をむっとさせて、左腕に巻きつけた布をぎりぎりと強く引き絞った。
「あでっ!あだだだっていだだだやめて腹もくる!」
「痛かったか佐助」
「痛いよそりゃ!いだだだだ」
突然とろんとして曇っていた視界がかっと開けた。同時にリアルな痛みが佐助を襲う。ダブルパンチを喰らった佐助は声にならない声と喉元で競り合い、結果大きく噎せ込んだ。最悪だ、何すんだ馬鹿!
「痛いときは、痛いと声をあげろ」
ふたつに裂いた布のもう一方を、左足の太股に縛り付けながら幸村が言う。
「もし声が発せられぬような時は、何をしてもいい。腕が動くなら俺の手を握るなり殴るなりして兎に角知らせろ」
佐助はしっかりしてしまった思考と視界を使って幸村の顔を見る。相変わらず神妙な顔をして布を縛り付けていた。
その約束をはじめにしたのは佐助だった。
「痛いと口にするは男児の恥だ!」
その一点張りで擦り傷をしようが打撲をしようが捻挫をしようがお構い無しだった幼い幸村が、転んで膝にできた傷口が膿んでグズグズになり、得体の知れない気持ち悪さに泣きわめいたとき。佐助は無礼を百も千も承知で幸村の頭を殴ったのである。幸村はぴたりと泣くのを止め、恐々とその泣きはらした顔をあげた。
「何が男児の恥だよ、ひとりじゃ何にも出来ないくせに。結局最後まで我慢仕切れないんだったら痛いっていわなきゃ取り返しがつかなくなるよ」
もうその時既に忍びとして佐助は、痛みを感じる神経が麻痺しかけていた。今でも痛覚がないわけではないし、言うなら「ちょっと便利」なだけなのだが、佐助にとっては自分でそれを確かめて不思議な絶望感に襲われる、一種の材料にしかならない。
だからこそ幸村には、例え無礼な態度とされて処罰を受けても構わない、しっかりと理解していてほしいと思っていた。既に人を斬る痛みすら麻痺した佐助は、忍びだ、忍びだから。言い訳みたいにそう口にする。幸村とは生きている世界が違う。幸村が生きている世界に、「ちょっと便利」はいらない。
膿んだ膝は二週間ほど治らなかった。毎日膿を捻りだしては布を巻いて。その間の幸村は大変大人しく、いつもきんきんと煩く佐助にあれこれ聞いてくるのだが、口を開こうともせず、子供らしい無邪気な顔を見せることもしなかった。
二週間後、少し痕が残ったがもう大丈夫だろう、と告げて布を取ったとき。
幸村は重しく佐助に言った。
「俺は強くなるぞ佐助」
「なるのが、昔からの夢だったんだろ?何を今更」
「違う、お館様のお役に立つための強さとは違う……と思う」
彼にしては珍しく言い淀んだ。おや、と佐助は面白い生物を観察するように幸村の困った顔を眺める。幸村は顔をしかめたり、ぐぐぐと唸ったりしながら言葉を探しているようであった。
「痛みすら、目を背けずに向き合えるようにだ」
佐助は首を捻った。
いいたいことは何となくわかるのだが、複数の意味を持ってしまっていて、しかもそれはどれもかなり違う意味なのだ。
「痛いことから逃げないって…我慢しないってこと?」
「否、佐助が居るからということだ」
ますます佐助は首を捻った。
「俺は痛いことをただ痛いということは、何とも情けないことと思うておった。だが違うのだ。痛みとは悲鳴なのだ、警鐘なのだ」
またこの餓鬼は難しい言葉を覚えたもんだと無理矢理軽く考えながら話を聞いてやった。戦用語なのは百歩譲って仕方ないとする。
「…この間、俺は膝が治るまで、もし痛みがなければ、と思うて怖くなった」
じゃあこうしよう。佐助は幸村に提案した。俺と旦那の密約だ。
痛いときは俺にだけは思いっ切り叫びましょう。
誰かひとりでも共有者がいれば、きっと傷付くことはないんだ。身じゃなくて、このへんがね。
胸のあたりを軽く押して笑ってやると、幸村はぱぁっと顔を明るくさせてにこりと笑い返してくれた。
「ならば佐助もだ!約束しろ、佐助もきょーゆーしゃなのだぞ、痛いときは俺に叫ぶのだ!」
共有者。
佐助が小さく呟いた。その言葉が胸にいつまでものしかかっている。忍びだから、忍びだからって。誰が決めたとかじゃなくてそういう風になってたこととか、どうでもよくなるぐらい。佐助は存在意義に悩みたい訳ではない。忍びであることを後悔している訳でもない。
「此処では大した治療もできん。本陣陣まで帰るぞ佐助…動けぬか?」
答えなかった。目に映り込んだ幸村の顔が、いつもの幼いあれに戻っていたことに安堵する。
「佐助?」
放っておいたら膿むんだということを、幸村に教えたのは佐助だ。何が恥だと殴ったのも佐助だ。幸村と約束したのも。
なのになぁ、なのに。喉が痛い。喉が荒れたように痛い。これが何の痛みか知りたい。
違う世界に住んでるから、腕を刀で斬られてもよかったの。
痛みは違うものなの。
違う世界に住んでるから、足を爆炎にやられても平気なの。
痛みはまた別なの。
違う世界に住んでるから。
佐助はもう笑えなくなった。まるで、痛みが崇高なもののように。既に出血の止まった腹が恨めしい。言い訳ばかりだ。でも気付かないフリはもうできそうもないよなぁ。警鐘が頭の中で鳴り響くだけで何もないけど、けど。佐助はもう笑えなくなっていた。
幸村が佐助の瞼を指で撫でた。しっとりと、確かな水分が指にまとわりついている。幸村が微笑んだ。
「佐助、」
「こうすりゃ、よかったんだなぁ」
幸村の目の前に佐助は、健在な右腕を差し出した。
「旦那」
「何だ」
「手、握っててよ」
「手か?」
「自分で立つからさ、早いとこお館様のとこ帰ろうぜ」
エゴイズムの共有者
真田主従の両依存が可愛い。
痛みについてぐるぐるしてた結果です。
こういうことって結構あるよな的な。
幸佐とサナダテとサスダテは別々の感情と表現があるよね。
そんなこいつらが好きです。
題名とかいっつも適当につけてます。
そして携帯からそのまま送るものは見直しをしていませ(殴)
相変わらずの書き方ですいません。